泰安磨崖三尊仏 태안 마애 삼존불

泰安磨崖三尊仏 태안 마애 삼존불
泰安磨崖三尊
百済(ペクチェ)時代の三尊で、韓国磨崖仏像の草創期のモデル

黄海に突き出た泰安半島は、百済が中国や高句麗と往来する海上ルートの重要な地点に位置しています。泰安磨崖三尊仏は、4世紀から7世紀の百済(ペクチェ)時代のもので、韓国磨崖仏像の草創期のモデル(泰安磨崖三尊仏像→瑞山磨崖三尊仏像→慶州吐含山石窟庵までつながる韓国の磨崖仏の脈を引き継ぐ始発点)といわれています。「百の微笑」として有名な瑞山の磨崖三尊仏よりも先に進んだ様式で、百済最古の磨崖仏像です。磨崖仏とは、自然の断崖絶壁や露出した岩石の表面を磨いて仏像を半浮き彫りまたは線刻したものをいいます。三尊仏は、白華山(ベククァサン、海抜284m)という山の山頂付近に刻まれています。三尊仏の中央に浮き彫りにされたのは、約2mの菩薩像で、その左右に脇侍として約2.9mの如来像が彫られている。中央の音菩薩が無盡意菩薩(八菩薩の一)から受けたを二つに分けて一つは左側の迦如, もう一つは右側の多にあげたという『法花』の容を表現したことです。奈良の法隆寺夢殿の観音菩薩立像のように、両手を胸前で合わせて宝珠を捧持しており、比較的大きな宝冠を被っています。
左側の迦如は、雄渾な体格の如来像が立ち、その顔と身体は量感に富んでいます。素髪の頭には小さな肉髻が盛り上がり、両肩は強く張り、通肩衣の衣装は隆起帯で表されています。右側の多来は左手は胸前で円形のます。菩薩を中央に配置し如来を両脇に配置した点、中央の本尊が脇侍より背丈が低く掘られている特異な構図は珍しく、三国時代の石仏としては唯一の例で、なぜこのような形式の三尊仏がこの地に刻まれたかは、未だにも謎です。最近の学者の見解では泰安半島は百済地に入って来た仏教文化が韓半島と日本で伝える関門で、水の流れが激しく遭難事故も多く海賊たちも絶えない色んな危険と不安が持続している地なので超越的な悟りの象徴である釈迦よりは衆生を救援する事を重視した観音菩薩信仰が発展されたそうです。

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