王興寺(ワンフンサ)址 왕흥사지

王興寺(ワンフンサ)址 왕흥사지

王興寺(ワンフンサ)址
日本最古の寺院飛鳥寺の原型といわれている百済の國刹である王興寺址

日本最古の寺院飛鳥寺の原型といわれている百済の國刹である王興寺址は、扶蘇山と錦江(=白馬江)を隔てた対岸の蔚城山の山腹にあります。王興寺(ワンフンサ)の址から出土した舎利容器から、この寺は百済王の発願で577年2月に創建された百済の大武王がしばしば船に乗って王興寺を訪れました。興寺跡木塔は現在は実在しないが、発掘調査の結果、縦横14メートルにもなる大きな木塔だったことが分かりました。
法興寺(飛鳥寺)は百済(崇峻天皇元年、百済が使節と僧の恵総(えそう)ら6人の僧侶を派遣してきて、仏舎利を献上した。恵総ら6人の僧侶とともに、寺工2人、路盤工1人、瓦博士4人、画工1人も同時に送り込んできた)と高句麗(飛鳥寺の伽藍配置は、一つの塔を三つの金堂で囲む一塔三金堂様式で、高句麗の首都である平壌で発掘された清岩里廃寺や定陵寺などにだけ見られる独特の様式)の支援を得て建立されたと言う見解がおおいです。


益山王宮里五層石塔
屋根石の落水面が平たい点・屋根石が気壇より広い点等が百済石塔の様式

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階の基壇の上に5階の塔身をあげた姿で、塔の基壇は四角に8角の基礎石を柱にして、柱と柱の間には長くて大きい四角い石をかみ合うように多くの階を積み乗せて木造塔の形式を石塔でそのまま再現しています。この八角柱と四角い石の間は土を押し堅めて補ったがこの中で百済時代の瓦の破片が発見されました。発掘の中に塔の1階の屋根石の中と塔の中心柱を差す基礎石から舎利装置が発見されました。

 

1階から5階まで塔身部の石の四角ごとに柱模様を刻んで、1階塔身部の石にはまた真ん中に2個ずつ柱模様を彫刻しました。屋根石は薄くて下は直線ですが、四コーナーは軽く上に上げられ、鈴をつけた穴があいています。各階の屋根石の上面には塔身部の石を支えるために他の石を挟んで置きました。5階屋根石の上には塔の相輪部の飾りが残っています。

 

屋根石が薄くて広くて雨水を受ける落水面が平たい点や、塔身部1階の屋根石が気壇より広い点等が百済石塔の様式を一部維持しています。いつ製作されたと言うのに対して意見がまちまちな状態でしたが、百済の昔の領土の中で高麗時代まで流行った百済係石塔様式に新羅塔の形式を一部受け入れた高麗前期の作品に推測されています。
王興寺(ワンフンサ)址はぺヨンジュンが執筆した書籍「韓国の美をたどる旅」にも紹介されました。

日本仏教伝来謝恩碑
夫余百済橋の東南端の詩人シ・ドンヨプ詩碑の隣にあります。
詩碑には「日本仏教は日本 欽明朝 西紀 552 年に百 26聖王から…
聖王の都だった扶余に謝恩費を建立して日韓両国民の永遠な親善と
世界平和の象
になるのを念願します。」と書かれています。


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